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世界遺産アンコール遺跡群巡り

カンボジア5日目、6日目

2日間に渡ってアンコール遺跡群を巡る
もちろん乗り物はトゥクトゥクだ
2日間のチャーターでUSD43
アンコール遺跡群のチケットが3DAYSでUSD62

1日目
まずは小さな遺跡を巡る

プレ・ループ
夕日観賞で有名な遺跡

東メボン
東バライという大きな貯水池の中央に築かれた寺院
現在貯水池は枯れている

タ・ソム
 数多くのデバダー(女神)のレリーフが残されている
東の門はリエップという名の木に覆われていた

クオル・コー
ヒンドゥー教寺院で雄牛の小屋という意味らしい

ニャック・ボアン
 遺跡までのアプローチは綺麗な池
 絡み合う蛇という意味の寺院
病を治す伝説の湖を模した池の中央に建てられた寺院

バンテアイ・プレイ
小さな遺跡で遺跡敷地内に大きなスポアンの木が聳え立つ

プリア・カン
聖なる剣の意味を持つ名の遺跡
かつて敷地内で発見された剣に由来するのだとか
アンコール遺跡群の中でも有数の規模を誇る遺跡で
レリーフなども多々残り見ごたえ十分
回廊を跨ぎながら飲み込む様は圧巻

ここから遺跡群周辺から少し足を伸ばした

バンテアイ・スレイ
女の砦を意味するこの遺跡は
赤色砂岩とラテタイトで築かれ
精巧で美しい彫刻が全面に刻まれている
この遺跡のデバダー(女神)の一つが
東洋のモナ・リザと呼ばれている

2日目
夜明け前からアンコールワットに向かう
いよいよアンコール・ワットへ

 アンコール・ワット
 サンセットを見るためにすごい人だかりだ
神秘的な時間を過ごすことができた

アンコール・トム

バイヨン
 圧倒される巨大な遺跡と数々の四面塔
あまりの衝撃に何を思い考えていたかが思い出せない

バプーオン
3層からなる山岳型寺院でバプーオン様式の原型らしい

王宮
跡地、男池と女池がある

ピミアナカス
ヒンドゥー教寺院で天井の寺院、空中の宮殿とも称される

象のテラス・ライ王のテラス
象のテラスは象や様々なレリーフが見られ
王がここに座り閲兵などをしていたらしい
ライ王のテラスは建築意図が不明で
ライ王が何を指すのかもわかってないらしい
三島由紀夫作品のモデルとなった場所

トマノン
アンコール・トム東門から出てすぐ近く
向かいにあるチャウ・サイ・テヴォーダと二つで一対になる遺跡
アンコール遺跡群のなかでは小規模

タ・ケウ
クリスタルの古老の意味を持つヒンドゥー教寺院
王の死去により未完成のまま放置されたピラミッド型遺跡

タ・プローム
映画「トゥームレイダー」で有名な寺院
この寺院は発見当時の姿を残す目的で
樹木の除去や修復をおこなっていない寺院
遺跡を侵食する樹木の迫力
自然界の生命力の凄さを感じることのできる遺跡
樹木の除去、修復をおこなっていない為
今もなお樹木の侵食が進み
何年後かには崩れてしまう危険性があるらしく
現在、そのまま自然の摂理に任せるか
修復するかで大議論となっているらしい

バンテアイ・クデイ
僧侶の砦の意味を持つ寺院は
ヒンドゥー教と仏教の混同寺院となっている

スラ・スラン
バンテアイ・クデイの東側に位置するバライ
王の沐浴地と称される巨大な人工水域


さすがにお腹いっぱいになってきたので帰路についた

2日間じっくり回って遺跡に浸ることができた
初めてアンコール・ワットをテレビか雑誌かで見て
心躍らせた記憶がまだ残っている
20年以上がたってやっと訪れることができた
遺跡や歴史、宗教など
あまり知識がないまま来てしまった事を少し後悔しつつ
今度もう一度訪れた時はしっかり知識として頭に入れようと思う

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