スキップしてメイン コンテンツに移動

コーケー遺跡群と世界遺産プレアヴィヒア

カンボジア8日目

コーケー遺跡群プレアヴィヒアに向かう
天気はあいにくの曇り空

コーケー遺跡群はシェムリアップから約2時間半
プレアヴィヒアはシェムリアップから約4時間
若干方向も違うのでさらに長旅になりそうだ

それ故あまり行く手段がない
ツアーか何人かで車をピックアップしていくかのほぼ二択
シェムリアップの日本人宿などで
ピックアップ参加者を募っている場合があるという情報があったので
3軒ほど回ってみたがこの日はどこも募っていなかった…
ツアーの参加なども考えたがツアー代が高すぎる
しかもプレアヴィヒア単体ならツアーがあるが
コーケー遺跡群を含めたツアーはほぼ見当たらない

少々諦めながら一応宿のレセプションに聞いてみた
するとシェムリアップに到着してから
ずっとトゥクトゥクを運転してもらっている
Mr.マライ(発音が良すぎて名前が聞き取れない…多分マライ)
の友達が車を持っているから聞いてみてくれるとの事

結果、夫婦2人とMr.マライと友達(名前忘れた…)
の4人で行くことになった
しかもカンボジア人2人は妙にテンションが上がっている
聞いたところ2人ともコーケー遺跡群とプレアヴィヒアに行くのが
初めてで興奮しているらしい

見どころは勉強してきてくれたみたいだが
実際見るのは初めてだし
当然、行き道もわからない
頼みのGoogleMapも充電が途中で尽きる
それでも2人とも楽しい人達で4人は笑いながら車を走らせる
何だかガイドというよりも
友達4人でショートトリップに行くみたいになった

コーケー遺跡群は現在、世界遺産に申請中の遺跡群
ジャヤバルマン四世の時代
アンコールから王都が移され建設された遺跡群
王の死後、王都はアンコールに戻されそのまま放棄された
 プラサット・トムと呼ばれる7段のピラミットなど30以上の遺跡からなる
入場料 USD10
ヒンドゥー教の遺跡群だが僧侶が参拝に来ていた
撮った写真をくれって言ってきたけどメールアドレスとか聞くのが
少しめんどくさかったのですまんした
すまん、僧侶
この頃から空は青く晴れ間が見えてきた

プレアヴィヒアは2008年に世界遺産に登録された寺院遺跡
カンボジアとタイの国境にある寺院
そのため昔からこの地域を巡る紛争が絶えず
最近では2011年に両国死傷者のでる交戦状態に陥った
そのような事から地雷原があえて残される地域でもあった為
一般人は立ち入り禁止であった
しかし近年地雷原が撤去され一般人も訪れる事が可能となった

この寺院はダンレク山地の海抜625mの断崖の山頂にあり
麓からバイクか4WDに乗り換えて登って行かなければならない
今回は4人なので4WDを使う USD25
寺院の入場料 USD10
着いた途端にこの天気、最高の空になった
 天空の遺跡とも呼ばれるこの寺院はヒンドゥー教寺院
シヴァ神を祭る寺院であった
プレアヴィヒアとはクメール語で「神聖な寺院」
語源はサンスクリットからきているらしい
天空の遺跡の名の通り
断崖絶壁から望む景色は絶景
あまりにも雄大な自然を望む事ができる

出発してから帰ってくるまで約12時間
カンボジア人2人とのショートトリップは
楽しくて感動して最高の景色を見ることができた

オークン


instagram⇒kz.photo.travel
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村


コメント

このブログの人気の投稿

ワラスからチャチャポヤスを目指して 経由地トルヒージョと世界遺産チャンチャン遺跡

ペルー17日目 ワラスから次なる目的地チャチャポヤスを目指して 二夜連続の夜行バス移動 まずは夜行バス(1夜目)でトルヒージョという街まで行く 昼間のうちにトルヒージョからチクラヨという街へ移動 チクラヨから夜行バス(2夜目)でチャチャポヤスへ このルートを選んだ理由はトルヒージョからチャチャポヤスへ 直行ルートだとカハマルカという町を経由していく気がする (カハマルカルートはかなりの悪路らしい) その為一度チクラヨまで行き迂回していくことに しかし、この日程2日目(3月30日)はセマナ・サンタというキリスト教のお祭り ほとんどの人々がお休みの日 バス会社も例外ではなく 当初乗る予定だったバス会社も休み そしてトルヒージョからチクラヨまでのバスが一本もない! 困った… バス会社を手あたり次第聞き込み、ネットでも調べまくった その結果、唯一この日程で移動可能なルートを発見した ワラス→トルヒージョ(夜行) トルヒージョ→チャチャポヤス(夜行) 両ルート共に Movil Bus トルヒージョ→チャチャポヤス間のルートが… カハマルカ経由かどうかわからないのでバス会社の受付に確認したところ 「私は受付なのでわかりません」 はぁ…南米はこんなんばっかだ 自分の仕事以外はわからないで済ます でもこのルートしかこの日程でチャチャポヤスに行けない ガラパゴスへの日程が決まっている為、強行するしかない 覚悟を決めて行くことに決定 せっかくなのでいい席で移動してやる ワラス→トルヒージョ  75PEN(2470JPY) トルヒージョ→チャチャポヤス  95PEN(3130JPY) ペルー18日目 トルヒージョに到着 もともとトランジットのみで寄る予定がなかった街 夜まで時間があるので観光をすることに コロニアル様式の色鮮やかな街並み かなり綺麗な街だ 近くに世界遺産の遺跡があるとの事なので行ってみることに 世界遺産チャンチャン遺跡 あまりにも広大な遺跡で見学できるのは一部のみ 紀元1100年頃からペルー北部に栄えたチムー文化の遺跡...

東と西が交じり合う場所イスタンブール

トルコ2日目 イスタンブールでの滞在時間は 今日と明日の深夜バスが出発する19:00まで あまり時間がない でもブルーモスクもアヤソフィアも 現在(2018/09末)修復中らしい ホントに最後の最後まで修復中の旅 旧コンスタンティノープルという 歴史的に楽しい場所 イスタンブールの観光名所は ヨーロッパ側(西側)の旧市街に集中している まずはその集中している場所を周る 最初は地下宮殿と言われている場所 バシリカ・シスタン 実際は宮殿ではなく地下貯水槽 4世紀にコンスタンティヌスの命によって造られた 巨大な地下貯水槽 奥に歩いていくと 2本の柱の下に2体のメデューサの頭部が 下敷きになっている これは魔力を封じ込めたとか 単なる高さ調整だとか 諸説あり解明されていない アヤソフィア 東ローマ帝国時代(現在の建物は6世紀頃)に キリスト教の教会として建てられたが 15世紀頃オスマン帝国時代に 教会からモスクに改装された経緯がある その為キリスト教とイスラム教が交わった 少し異様な雰囲気のある場所 しかし情報通り 大改修中!! この写真は建物内の右側 写真の写っている範囲のすぐ左から 床から天井まで完璧に覆われていて 全く見る事も出来ないほどの大改修ぶり まぁかろうじて雰囲気は味わえた 続いては公園を挟んで向かいにある スルタン・アフメット・モスク (通称ブルーモスク) こちらも大改修中 世界で唯一6本あるミナレット (お祈りの時間を告げる為の塔)も なんと1本が改修中…というか ない!! まさかの作り直し中? そして ココはモスク イスタンブールのモスクの多くは イスラム教徒でなくても入る事ができる (世界中の多くのモスクは教徒以外は入る事ができない事が多い) しかし肌の露出は厳禁 特に女性 なのでスカーフなどを貸してくれる モスク内部に入場 … この写真の場所以外 天井が全面板で覆われている!! 2mくらい...

トルコの絶景 世界遺産カッパドキア

トルコ3日目 イスタンブールから長距離深夜バスに乗り この旅最後の町 世界遺産カッパドキアのある町 ギョレメに向かう 長距離(深夜)バスに乗るのも 後残すところこの往復の2回 しかし、もう深夜バスでは寝れない… 体が慣れ過ぎたのか拒絶しているのか… まぁそれも後2回 バスまで時間を潰し 19時に旅行会社前にてピックアップ イスタンブールのバスターミナルは 街の中心地から結構離れている 自力で行くのも勿論可能だが 重い荷物を持ってイスタンブールの人だかりを行くのは なかなか骨が折れる なので街の中にある旅行会社でバスチケットを買う すると少し値段は高くなるが バスターミナルまで連れて行ってもらえる その方が遥かに楽なので最後くらい少し贅沢することにした バスは20:30出発 ギョレメ到着は翌8:30 12時間のバス移動 案の定あまり寝れない… この日は日本で言う中秋の名月 バスの車窓からは綺麗な月が見えていた トルコ4日目 定刻通りバスはギョレメに到着 早速この地域らしい奇岩が至る所にある ギョレメ滞在は到着日を含めて3日 この旅も後5日で終わる 宿に荷物を預けに行くと 「今日これからどうする?」 「何かしらのツアーならまだ間に合うよ」 と言ってくれた せっかくなので日中のツアーに参加することにした ギョレメ発の主なツアーは3タイプ レッドツアー グリーンツアー ブルーツアー 他にもホースライディングやバギー、キャメルライドなど 様々なツアーもある その中で1番人気らしい グリーンツアー に参加する事にした 宿の主人が連絡を取ってくれて すぐにピックアップのバンがやって来た まず向かったのは地下都市 デリンクユの地下都市 地下都市の紀元は諸説ある 紀元前15世紀から12世紀にかけて ヒッタイト人により造られた説 紀元前8世紀から7世紀にかけて フリギア人によって造られた説などがある 巨大な地下都市は1世紀から3世紀にかけて 初期のキリスト教徒がイスラム教徒の迫害から 逃れるために住んでいた歴史もある 現在発...