スキップしてメイン コンテンツに移動

チチカカ湖の有名な浮島 ウロス島に行ってきた

ペルー2日目

チチカカ湖の最大の目玉であろうウロス島観光

ウロス島とはトトラと呼ばれる葦でできた浮島が
何百も連なり形成される人工の島で、
空気を多く含むトトラの根の塊を土台とし
その上に刈り取ったトトラを何重にも敷き詰め島の形を形成している

その人口の島に約2,700人程のウル族を起源とする先住民が暮らしており
そこを訪れる観光客に島の暮らしなどを説明し、葦製品や織物などを売っている
最初に観光客が島を訪れてから約30年
今では観光業が主な収入源となっている

まぁ見る人からすると観光地化され
本来の姿は見れず土産物などを押し売ってくる様は
どうなんだ?と疑問に思うのかもしれない
そういった感想が後を絶たないのも事実

しかし、日本から遠く離れここまで違う生活を送っている民族
興味があるのも事実
ならば実際に行ってみよう

8:45
前日に頼んであったツアー会社がホテルにピックアップしに来てくれる

9:00
ボートに乗り30分程でウロス島到着


本当に浮島
島に降りた感触はコンクリートで生活している我々には不思議な感覚だ


様々な物がトトラで作られている
島、家、ベンチ、門、船
トトラはなくてはならない存在なのだと感じさせられる
この島には4世帯が暮らしているという


浮島とトトラとそこでの暮らしをトトラでできた小さい模型で説明してくれた


島での暮らしは主に魚を釣り、野菜を育て
伝統工芸の刺繍をし、トトラ細工を作って生計を立ててるから
お土産買っていってね
といった感じで宣伝が入り、お土産の販売スタート
独特の色使いのタペストリーや編み物、置物などが売られている


結構強引なので一つくらいはお土産を買わないと先に進まない
それが観光客からあまりいい評判を聞かない理由か
しかし、考えてみれば自分たちの暮らしは厳しく
尚且つ観光客が押し寄せる
それならば、といった気持ちもわかる

世界に類を見ない独自の文化を紹介してくれているのだから
そのくらいはいいのではないかと思う
現にアジアや南米を周っていてどこに行っても
同じお土産が売っていて
それをさも特別そうに宣伝し強引に売ってくる人々よりもずっといい

「ウル族の為に」とは言いすぎだが少しくらいは
買ってあげてもいいのかもしれない
そのお礼に独自の生活を見せてもらえるのだから
(確かに強引で商売っ気が多いのも事実。紙一重のところか…)


島を出る時は伝統の歌なのだろうか
歌を歌ってくれる


その後、中心部だという島に上陸
この島にはレストラン、Bar、宿泊施設がある
そして、トトラで作られた大きなコンドル


それにしても本当に浮島なんだな
アンカーを打っていないと勝手に流されてしまうらしい
そして分離も結合も自由なのだとか


11:30
プーノの街に向けて出港

12:00
ツアー終了

ウロス島
確かに観光地化が物凄く
ツアーは見世物のように進んでいき
住んでいる人々は物を売ろうと必死になっている

しかしこの観光地化がウル族を救ったのも事実
1970年代にはウル族の言語が途絶え
高齢化が進み生活が困難になり
伝統の文化が消えそうになったようだ
しかし20世紀末のクスコを中心とした観光地化の波に
島民は自分たちの生活の営みが
一大観光になることを理解し
伝統を復活させウル族の危機を救ったのだ

そういった背景を知ってこの島を訪れると
また違った感情を抱くのかもしれない
個人的には大満足

明日はクスコに移動
そろそろ下界に降りたくなってきた…



instagram⇒kz.photo.travel
にほんブログ村 旅行ブログへ
にほんブログ村
気が向いたら左のバナーをポチっと1クリックお願いします♪

コメント

このブログの人気の投稿

ワラスからチャチャポヤスを目指して 経由地トルヒージョと世界遺産チャンチャン遺跡

ペルー17日目 ワラスから次なる目的地チャチャポヤスを目指して 二夜連続の夜行バス移動 まずは夜行バス(1夜目)でトルヒージョという街まで行く 昼間のうちにトルヒージョからチクラヨという街へ移動 チクラヨから夜行バス(2夜目)でチャチャポヤスへ このルートを選んだ理由はトルヒージョからチャチャポヤスへ 直行ルートだとカハマルカという町を経由していく気がする (カハマルカルートはかなりの悪路らしい) その為一度チクラヨまで行き迂回していくことに しかし、この日程2日目(3月30日)はセマナ・サンタというキリスト教のお祭り ほとんどの人々がお休みの日 バス会社も例外ではなく 当初乗る予定だったバス会社も休み そしてトルヒージョからチクラヨまでのバスが一本もない! 困った… バス会社を手あたり次第聞き込み、ネットでも調べまくった その結果、唯一この日程で移動可能なルートを発見した ワラス→トルヒージョ(夜行) トルヒージョ→チャチャポヤス(夜行) 両ルート共に Movil Bus トルヒージョ→チャチャポヤス間のルートが… カハマルカ経由かどうかわからないのでバス会社の受付に確認したところ 「私は受付なのでわかりません」 はぁ…南米はこんなんばっかだ 自分の仕事以外はわからないで済ます でもこのルートしかこの日程でチャチャポヤスに行けない ガラパゴスへの日程が決まっている為、強行するしかない 覚悟を決めて行くことに決定 せっかくなのでいい席で移動してやる ワラス→トルヒージョ  75PEN(2470JPY) トルヒージョ→チャチャポヤス  95PEN(3130JPY) ペルー18日目 トルヒージョに到着 もともとトランジットのみで寄る予定がなかった街 夜まで時間があるので観光をすることに コロニアル様式の色鮮やかな街並み かなり綺麗な街だ 近くに世界遺産の遺跡があるとの事なので行ってみることに 世界遺産チャンチャン遺跡 あまりにも広大な遺跡で見学できるのは一部のみ 紀元1100年頃からペルー北部に栄えたチムー文化の遺跡...

東と西が交じり合う場所イスタンブール

トルコ2日目 イスタンブールでの滞在時間は 今日と明日の深夜バスが出発する19:00まで あまり時間がない でもブルーモスクもアヤソフィアも 現在(2018/09末)修復中らしい ホントに最後の最後まで修復中の旅 旧コンスタンティノープルという 歴史的に楽しい場所 イスタンブールの観光名所は ヨーロッパ側(西側)の旧市街に集中している まずはその集中している場所を周る 最初は地下宮殿と言われている場所 バシリカ・シスタン 実際は宮殿ではなく地下貯水槽 4世紀にコンスタンティヌスの命によって造られた 巨大な地下貯水槽 奥に歩いていくと 2本の柱の下に2体のメデューサの頭部が 下敷きになっている これは魔力を封じ込めたとか 単なる高さ調整だとか 諸説あり解明されていない アヤソフィア 東ローマ帝国時代(現在の建物は6世紀頃)に キリスト教の教会として建てられたが 15世紀頃オスマン帝国時代に 教会からモスクに改装された経緯がある その為キリスト教とイスラム教が交わった 少し異様な雰囲気のある場所 しかし情報通り 大改修中!! この写真は建物内の右側 写真の写っている範囲のすぐ左から 床から天井まで完璧に覆われていて 全く見る事も出来ないほどの大改修ぶり まぁかろうじて雰囲気は味わえた 続いては公園を挟んで向かいにある スルタン・アフメット・モスク (通称ブルーモスク) こちらも大改修中 世界で唯一6本あるミナレット (お祈りの時間を告げる為の塔)も なんと1本が改修中…というか ない!! まさかの作り直し中? そして ココはモスク イスタンブールのモスクの多くは イスラム教徒でなくても入る事ができる (世界中の多くのモスクは教徒以外は入る事ができない事が多い) しかし肌の露出は厳禁 特に女性 なのでスカーフなどを貸してくれる モスク内部に入場 … この写真の場所以外 天井が全面板で覆われている!! 2mくらい...

トルコの絶景 世界遺産カッパドキア

トルコ3日目 イスタンブールから長距離深夜バスに乗り この旅最後の町 世界遺産カッパドキアのある町 ギョレメに向かう 長距離(深夜)バスに乗るのも 後残すところこの往復の2回 しかし、もう深夜バスでは寝れない… 体が慣れ過ぎたのか拒絶しているのか… まぁそれも後2回 バスまで時間を潰し 19時に旅行会社前にてピックアップ イスタンブールのバスターミナルは 街の中心地から結構離れている 自力で行くのも勿論可能だが 重い荷物を持ってイスタンブールの人だかりを行くのは なかなか骨が折れる なので街の中にある旅行会社でバスチケットを買う すると少し値段は高くなるが バスターミナルまで連れて行ってもらえる その方が遥かに楽なので最後くらい少し贅沢することにした バスは20:30出発 ギョレメ到着は翌8:30 12時間のバス移動 案の定あまり寝れない… この日は日本で言う中秋の名月 バスの車窓からは綺麗な月が見えていた トルコ4日目 定刻通りバスはギョレメに到着 早速この地域らしい奇岩が至る所にある ギョレメ滞在は到着日を含めて3日 この旅も後5日で終わる 宿に荷物を預けに行くと 「今日これからどうする?」 「何かしらのツアーならまだ間に合うよ」 と言ってくれた せっかくなので日中のツアーに参加することにした ギョレメ発の主なツアーは3タイプ レッドツアー グリーンツアー ブルーツアー 他にもホースライディングやバギー、キャメルライドなど 様々なツアーもある その中で1番人気らしい グリーンツアー に参加する事にした 宿の主人が連絡を取ってくれて すぐにピックアップのバンがやって来た まず向かったのは地下都市 デリンクユの地下都市 地下都市の紀元は諸説ある 紀元前15世紀から12世紀にかけて ヒッタイト人により造られた説 紀元前8世紀から7世紀にかけて フリギア人によって造られた説などがある 巨大な地下都市は1世紀から3世紀にかけて 初期のキリスト教徒がイスラム教徒の迫害から 逃れるために住んでいた歴史もある 現在発...